増川宏一「将棋の歴史」を読む

増川宏一「将棋の歴史」を読む。
タイトル通り将棋の歴史がわかる本。ただ一般的な将棋史というよりは専門的。史料、資料をもとに記述され、学問的な価値は高いがそのぶん難しい。ページ数が少ないため、解説が少々駆け足になっている感じもした。江戸期は大橋家文書をもとにした将棋家の解説がメインで、ここが本書の読みどころという感じ。ただもっと一般向けに全体的な江戸の将棋文化を解説しても良かったんじゃないかと思った。全体像みたいなものが把握できないようにも思った。

一読しただけでは時系列が難しかったので、将棋の伝来から発展までを本からメモ。

  • チャトランガは4人制の前に2人制があった。チャトランガの考案は5世紀頃。
  • 中国象棋日本将棋は別系統。碁とは伝来ルートが違う。南方からの船のルートではないか。
  • 10世紀前半までの資料に「将棋」の言葉は存在しない。日本最古の駒が興福寺で発見される。11世紀中頃のものと見られるため、伝来時期はこの間。950〜1050年。
  • 13世紀初めの「二中歴」(1210〜21年ごろ編纂。)の将棋の記述には再使用ルールは無かった模様。飛車と角もない。升目の数も不明。将棋とは別に大将棋の記述あり。大将棋は12世紀前半には考案されていた。
  • 「普通唱導集」(1297〜1302年の間に執筆)にある追悼文に「桂馬を飛ばして銀に替え」という文言。駒の再使用のことかは不明。
  • 14世紀中頃までには中将棋が考案されていた。その後15世紀後半から16世紀前半にかけてが中将棋の最盛期と見られる。小将棋に飛車と角の駒の追加、持ち駒の再使用ルールの導入が行われた時期は不明。16世紀初めにはあったとみられる。

増川説だと伝来時期は平安時代。約1000年前。それから500年ぐらいかけて現在の形になり、そして現在コンピュータと人間が将棋を指す段階まできている。1000年という数字を聞くだけでなんとなく歴史の壮大さを感じてしまう。よくわからないけどすごいですね。

また他に面白かったところは、

  • 石田流は石田検校の前に初代宗桂が既に指していた。
  • 明治維新後の大橋家は特別困窮してはいなかった(家賃収入があった)。

などなど。石田流の話は初めて聞いた。大橋家が副業で儲けていたというのは以前NHK名古屋のローカル番組でやっていた「金とく!」で知っていたけど、あの番組の内容はもう忘れてしまった。たしか大橋家をCGで再現していたはず・・・あれもう一回見たいなあ。
また御城将棋が後年形骸化していった話なども面白かった。

個人的には江戸時代の話がもっと読みたかったかな。当時の名人の棋力はどれくらいだったのか・・・定跡研究はされていたのか、当時のファンは名人の棋譜を見ていたのかな、など色々疑問が湧いてしまった。

将棋の歴史 (平凡社新書)

将棋の歴史 (平凡社新書)