加藤一二三「将棋名人血風録」

加藤一二三「将棋名人血風録」を読む。
将棋の歴史、名人の誕生の軽い記述が冒頭にあり、そこから歴代名人のエピソードが加藤節で語られる。途中に加藤自身の面白エピソード(本人は真面目)が入り、読みやすく構成してある印象。加藤九段が実際に戦った各棋士たちの強さの分析が興味深かった。各年代の棋士たちにまつわる将棋の有名なエピソードがある程度収められているので、ちょっとした将棋の教養を得るにはいい本かもしれない。

一番の読みどころはやはり加藤一二三九段自身が名人を奪取するくだり。P141にはこんな記述があり、自分は知らなかったので結構驚いた。1973年に中原誠名人に挑戦して四連敗で敗退した後の話。

四連敗した後の五月二八日、日曜日のことだった。洗礼を受けた下井草教会でミサにあずかっているとき、私は神秘的な体験をした。そして、そのとき私は確信したのである。
「今回は負けたけれども、いつの日にか、きっと名人になれる」

加藤九段はこの神秘的な体験から9年後の1982年に、予兆の通り見事中原誠を破って名人になるのだが、本には信仰によって勝負に勝つ、と書かれておりやはりここらへんの話は自分には不思議に思えてしまう。神への信仰によって心の安定を得、メンタルな力となるのはわかるが、加藤九段にとって信仰はたぶんそういうことではない。おそらくもっと根源的な部分の話で、それが論理的なパズルであるはずの将棋と通じてしまうところが非常に興味深い。どちらにせよ自分の良いと思ったことを信じる加藤九段らしいエピソードが読めて面白かった。